ハルノートとは?
戦前の日本は満州つまり中国東北部に利権を持ちそれを足がかりとして満州事変を起こし国際的に認められないような利権国家満州国の独立を宣言しました。
韓国併合も満州の租借も国際法的にも合法に行われ日本に非はありません。小農業国であった日本が奇跡的に躍進し先進国となったのです。
しかし中国の民衆に日本は苦しめられました。局地的戦闘があちらこちらで行われたようです。租借権が45年ほどで切れてしまうということもあり日本帝国は恒久的に中国を我が物にしようと軍を展開します。
そしてついに新国家建設という暴挙に出ます。国際的に考えればこれは到底許されることではありません。
ドイツは着々と領土を拡大、チェンバレン首相の融和重視の考えもあって一応国際的に認められる最大領土を得ました。しかしヒトラーはそれに満足しなかった。と言うよりヒトラーの計画においてソビエト政権を屈服させ東方の領土を得ることが必須のことでした。
ヒトラーの目標は東方の生存権確立とユダヤ人の絶滅です。対ソ戦に望みが無くなった時ドイツはユダヤ人絶滅を優先課題としました。
日本はすでに国際的違法国家を成立させていましたからドイツと協定を結ぶのは北朝鮮とイランが結ばれるのに似た構図です。ハルノートは日本の違法国家を認めずそれどころか中国からすべての軍隊を引き上げることを要求したものです。
このハルノートは今から見ればきわめて現実的なものです。と同時に対日戦を決意しなければ要求できない事柄でもあります。いったいどの国が対日戦を決意しうるか。それはアメリカを置いてありませんでした。ヨーロッパ諸国はドイツの膨張政策で手一杯でした。
ソビエト政権はスターリンの指導により何とかドイツに対抗できる力を備えつつあったもののそのことはまだ未確定で、事実ヒトラーはドイツ軍に抵抗する力はソビエトには無いだろうと見ていました。
維新以来203高地を奪取して旅順を攻略、日本海海戦を勝ち着実にロシアを駆逐してロシア革命を成功させるのに一役買う等安定した中国経営を目指してきた日本にとってそもそも満州事変を起こしたことが誤りだったのですが満州軍とは日本軍の本体と言ってもよくその野望を否定することはできませんでした。
日本は帝国軍に負けました。国というものが軍隊であるか国民であるか決めることはできません。世論もまた軍部と一体でした。
日本帝国が満州に権益を持ちかつ満州帝国を経営することは日本国民には当たり前のことでした。今の平和主義、平和が一番と言う考え方と同じで、満州が一番満州が一番大事と言う考えが普通の考えでした。多くの国民が血を流して獲得し世界的にも受容された権益を手放すと言うことは国民の精神を捨てると言うことでした。
ハルノートはもはやいかなる外交努力も無意味であることを日本に宣告したものです。
原爆と言う超絶兵器が製造されると言う予測は一部の科学者の頭にあっただけで軍部も政治家も全く予想していませんでした。
かくして人類最後と結果的になってしまった国家総力戦へと世界は進んでいくことになります。
戦争をするのには理由があります。戦争を絶対してはならないというのは妄想です。戦争にいたるまでには幾つもの経緯があります。
戦争までに至る経緯を考え何故戦争が起るに到ったのかを考えコメントしていくことが平和への道であると思います。空襲体験は悲惨なものですし多くの住民また兵士が殺されていく過程も悲惨なものです。しかしそれを語ったからと言って戦争反対というわけにはなりません。明治維新以後の日本の歴史そのものの帰結としての戦争というものを理解しなければ戦争反対とは言えません。そしてもし満州事変がはじまるくらいに事変反対と言うのであればその人は国賊であり治安紊乱者として投獄されていたのです。その当時は国民への統制はそれほど厳格なものでした。