性欲について
食欲睡眠欲など生理の基本的欲求ながら本来排泄行為に属し異性との様々な疎通にも関わりまたその発動が精神的なものに深く関わるために一般的な性行為の記述は意味が無いとさえ思われます。
娯楽的意味すらありホモサピエンスの奥深さは性行為全般を考えるときにも現れます。
物体愛あるいはその他の倒錯は現在個性として認められ同性愛もまた障害ではなくそういうものであると認められています。
性欲が発露するとき人はもっとも自然な無理の無い状態にありもっとも健康な状態であると言って良いでしょう。
もちろん性欲の対象となるものへの思いやりなど人間的な要素が欠落していない限り。
性欲の充足は本人の人間性の現れそのものであり故に人は結婚という最も安心安全な道を選ぶのかもしれません。
性的な刺激は性欲を起こさせるものとして必要ですが刺激を追い続けると果てしのないものになります。
性欲がいったん起こってしまった以上それを解決するのはオーガズムのみです。
自慰かパートナーとの性交以外に起こった性欲を終結させるものはありません。自然減衰するというのは大変な意思が必要です。
それを承知で刺激を受け続けるのはより深いオーガズムを得るためにはよい選択です。
しかし自然減衰を考えるのなら即刻刺激を断ち切らねばなりません。
性的刺激は受ければ受けるほど深みにはまります。自然減衰もしにくくなります。
もともと相当性欲がたかまって発情するわけですから自然に発情した場合には減衰は無理ですね。
あまり我慢すれば犯罪に到る場合もあります。
盗撮や下着泥棒など軽微な犯罪と言ってもそこから次第に重大犯罪に発展する可能性が高く警察もそれを思って厳しく取り締まります。
経済力のない若者にとって自慰は大きな救いです。性欲は我慢しても百害あって一利なし。
子造りの予定もないのにパートナーを妊娠させることもそこから大変な不幸を招くことにもなります。避妊は確実な方法で行わねばなりません。
しかし基本的に生き物である人にとって性欲の解放は大いなる喜びであり人生の財産であると言ってもいいほどです。
生きることのもっとも大いなる喜びです。芸術的創造も学問的思考も性欲無しに生まれることは決してありません。
すべては性欲から性的な喜びから来ています。もし人に性欲がなければ生きていることそのものが無意味になるでしょう。
人の意思、営為、活動、すべての根源はフィジカルな愛にあると言ってもよいでしょう。
死ぬか生命活動が危機的にならない限り人は性を求め追い続けます。もし性的に淡白になってしまえばその時には死期が近づいていると言っても良いほどです。
性は大いに謳歌すべきものなのです。たとえ自慰であっても。頭脳を若く保つためには性を欲するべきです。
すべきですと言いましたが、勿論これは欲して当然、欲するのは健康の証ですと言う意味です。
禁欲的になってしまった、と言う方も勿論居られる事でしょう。それは深い精神性を獲得された方ですね。
教祖となった浅原彰晃も禁欲的ではなく逆に快楽的ではあったようです。若い女性信者とよくまぐわったと言う話を聞きました。彼だって人心を収攬してあれだけの事を起こした人物ですからそれなりの評価はされるべきでしょう。
自然減衰などあり得ないことです。男性なら速やかに或いは楽しんで射精して性欲を一時的に失くしましょう。オーガズムは副交感神経を優位にして緊張を解きます。
身体的精神的に軽やかになります。
しかし創造性や創作意欲、或いは闘争本能も殺がれますからオーガズム到達後12時間くらいは活動性は阻害されます。多少の禁欲は必要な時もあるかもしれません。